法律を駆使する弁護士のスゴさ

以前、教員を目指す大学生がアルバイトに来ていたことがありました。

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法律を駆使する弁護士のスゴさ

裁判を傍聴して感じる事とは

以前、教員を目指す大学生がアルバイトに来ていたことがありました。
その子はなんでも積極的に取り組んでいける子で、さすがにこうしたやる気にあふれた人が教員になりたいと考えるのだなあ、と感心していました。
教師として教えたい科目は社会科と言っていたこともあってか、彼女は積極的に大きな事件の裁判の傍聴へ出向いていました。
大きな事件ともなると、傍聴券を求めて多くの人が行列を作るのがおなじみの光景ですが、彼女は行けるときは必ずそれに並び、傍聴券を求めたそうです。
そして、言葉が適切かどうかはわからないものの、当選し、法廷に入ることができたことが何度かあると言っていました。
たいていは、仕事のちょっとした空き時間に話をしただけなので、具体的にどのような裁判を傍聴したかといった詳しい事までは聞けずじまいでした。
裁判員裁判制度が導入された今になって、もう少し話をよく聞いておけばよかったかも、と思っています。
彼女が言っていた中で印象的なのが、自分がどちら側に立つかによって、相手の言うことが正義とは思えなくなることが、どうにも歯がゆいということでした。
これは、明らかに殺人犯であり、極刑が妥当と思われる犯人にも弁護士がつき、弁護されるときに多くの人が感じることであり、その意見には素直に納得できました。
裁判の傍聴をするには、自分自身がこうした歯がゆい気持ちとうまく折り合いをつけられるかどうかを考えてから、臨むべきかもしれないと思います。
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